The Winds of Thought

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安倍氏国葬断行に思う民主主義国家の終焉

「#ワクチン後遺症」タグが「#ワクチン薬害」に進化している。

薬害とは、明確な定義はないものの、一般的に医薬品の有害性を加害者側が故意・過失問わず軽視・無視した結果引き起こされる人災的な健康被害とされている(全日本民医連のHPより)。

現在の様子を顧みれば、まさしく薬害問題であろう。

これまでこのワクチンに関する有害性の指摘については、陰謀だのネガティブな情報だのさんざんに叩かれ続けてきたわけだが、もはや誰もが少なからず疑問に感じ始めているので、この流れは止められないものと思われる。

しかし、SNSやネットニュースに親しみのない人間の認識は驚くほど現実と乖離しており、未だ「感染者数が何万人だ」「まだまだ気を抜けない」などと世間話するありさまで、こちらとしては辟易とするばかりである。

「病院は頑張っている」だの「医療者に感謝」だの、偽善も大概にしてもらいたい。

2年以上、大量の補助金を浪費し、社会機能を停止させておきながら、未だに逼迫などと一体どの口が言うのか。

擁護する方もする方で、一度冷静に考えてみるべきである。

確かに自分が病院に罹れなくなるのは不都合だが、なぜそのような事が起きているのか、その仕組みもろくに知らずにテレビの言うがままに同じ言葉を並べ立てるなと言いたい。

ことコロナについてはこの手の者があまりにも多く、「それは一体誰の言葉?」と言わざるを得ない事が往々にしてある。

そもそも巷で言う「感染者数」だって、正確には「PCR陽性者」だ。

そしてPCRで陽性=コロナ感染ではない。

この程度の事はもうかなり初期の段階からさんざ言い続けているのに、それすらも初耳だと言う者が後を絶たない。

やたらに「飛沫」とやらを恐れるのも訳が分からない。

たちが悪いことに、彼らは黙って座っているだけでも飛沫が飛んでいると思い込んでいる。

「そんな事は思っていない」と嘲笑する者だって、結局は終始無言の通勤電車でご丁寧にマスクを外さない。

なぜなのか聞いても多分答えられない。せいぜい「一応」と言うくらいだろう。

「いつ不意にくしゃみするか分からないから」という言い訳がましい者もいて、ならばここまでに年に何度その機会があったかを思い返して貰いたいところであるが、もうこのような輩は自己正当化するしか能が無いので、何を言っても無駄である。

これこそが最も重要かつ深刻なところで、後に語るが、政府の態度がそのままに国民に伝染しているのではないかと考える次第である。

そして、それゆえに全体主義の加速を憂いるばかりである。

 

安倍氏が殺害されてから、ものの1週間で国葬儀にすると発表があった。

私はてっきりツイッター内でシンパが勝手に盛り上がっているだけだと思っていたので、このニュースが飛び込んできたときには思わず声を上げてしまった。

一体、何を根拠に国葬などと言うのか。

功績と言うが政治家については功罪と言うべきであって、誰かにとって得になる事でも他の誰かにとってはそうではないという事など山のようにあって、むしろそれが平生行われている事である。

歴代最長なんてのも根拠としては弱いし、とにかく結論ありきで理由を後付けしているようにしか思えない。

こう言うと極端かつ感情的な自称保守勢が

「既に外国からの弔問・弔電がたくさん来ている」

「葬儀となると外国の要人がたくさん来るので警備の観点からも国葬にするべき」

「選挙中に銃殺されるという特異性」

参院選自民党が勝利したのだがら少数派は文句言えない」

「森友・加計問題は潔白ないし証拠不十分、解決している」

「民主主義を守るため」

国葬は外交の機会」

などと大変熱く反論してくるのだが、果たして本当に天皇陛下と並び立てるだけの根拠であるのかという事を以下に示したい。

 

①既に外国からの弔問・弔電がたくさん来ている

普通、来る。現職ではないものの、長期政権で関係者の数は膨大であるし、殺害事件であればよりお悔やみを申し上げるのが普通の対応というもの。逆に何にもメッセージすら寄こさない、反応なしだと「なんだお前」って思うだろう。(メディアが取り上げなければバレやしないが)日本人が毛嫌いしているプーチン氏ですらすぐに弔電をくれた。

 

②外国の要人がたくさん来るので警備の観点から

・・・国葬でなければ警備が緩くなるのか?自民党としての葬儀でも何なら有志の葬儀であっても、要人が参列するとあらばそこに警備をつけるのは当然なのでは。

コスパが良いとはひろゆき氏が言いだした事だが、それに納得する程度の頭の持主にはなぜか反対すると「税金の額の問題じゃない」と言われ、しかし警備の話をすると「コスパが良いから」と言われる。支離滅裂である。が、気付かないらしい。

どれだけの要人が訪れるのかという点は、別に葬儀の位置づけに関わる事ではない。

 

③選挙中に銃殺されるという特異性

確かに銃社会でない日本でこのような事件が起きるとは恐ろしい話である。

が、それなら都度、国葬になってしまうのだが、「それは違う、今回は特別だ」となぜ平気で言えるのだろうが。

それだけが根拠じゃないって、じゃあどれが主な根拠なのだ。

その時点でもうこの理由は持ち出すべきではない。

 

参院選自民党が勝利したのだがら少数派は文句言えない

多数派に胡坐をかく者の戯言としか言いようがない。

このような考えで平気でいられるのだから、確かに民主主義は危機的な状況なのかもしれない。

「民主主義とは多数決の原理だ」と学校で教えるせいか、大人になってもそのまま信じ込んでいる者が本当に多い。吐いて捨てるほど存在する。

教え方が雑すぎるのが一番の悪だが、そのまま信じ込んで何十年といられるのも恥ずかしい限りである。

民主主義とは、異なる意見・思想を互いに尊重し、物事を決める時には暴力でなく議論を尽くし、できる限りお互いが納得できるような方向に持っていく事がその本旨である。

お互い持ち寄った案はできるだけすり合わせて、それでも決着がつかない場合は最終的に投票にする。そこで採用されているのが多数決というだけである。

つまるところ、民主主義というのは非常に手間がかかるシステムなのである。

はっきり言って意見の合わない者との共同作業はめんどくさい事この上ない。

さっさと自分の意見を押し通して物事を前に進めたいというのが誰しも本音だろう。

しかし、それでは民主主義とは言えないのであって、その面倒を一つ一つ積み重ねて少しでも多くの人にとって良いと思える妥協点を探っていかなくてはならないのである。

多数派、少数派などというのは本来最終的な投票の結果に過ぎず、その後も議論を続けていけばまた情勢は変わるかもしれない流動的なものと理解するべきである。

それを少数派だから意見は聞かなくてよいなどと一蹴するのは本末転倒であって、むしろこのような考えこそが民主主義の枠から外されるものと思うべきであろう。

(およそ自分が”勝った”と思うからこのような態度に出るのであろうが。すべての者が勝利するのが民主主義と思うべし)

所詮、民主主義はヨーロッパからの輸入品なので、どのようにして出来たか、なぜ重要なのかという歴史・背景をろくに知らないまま何となくそのまま来ているのが現状なのだろう。

たぶん輸入した人間は本場で見て感動したに違いないが、残念ながらそれがきちんと隅々まで伝わるかどうかは別問題なのである。

 

⑤森友・加計問題は潔白ないし証拠不十分、解決している

公文書の改ざんという日本国家のシステムを揺るがす大問題を引き起こしたのは別問題とでも言うつもりであろうか。

疑惑についてあまりにも報道が過熱していた事は確かだが、赤木氏がその後自殺にまで追い込まれて亡くなった厳然たる事実を無視するとは何事か。

そもそも保守というのは日本国家を愛しているはずなのに、なぜこのような一大事については何も言わないのか。

結局、自分が良いと思うからお前も良いと思え、という考えなのか?

赤木氏の奥様はこの状況についてどのように感じられるだろうか。

加えて、国会で虚偽答弁を繰り返しているのも大問題である。国会軽視も日本国への裏切りではないのか?

 

⑥民主主義を守るため

犯人はそのような事を一切口にしていない。むしろ、どのような政治的信条も関係なく、問題は旧統一教会というカルト集団への怨嗟であると言っている。

つまり、民主主義への挑戦という意味合いは、第三者が勝手にそう位置づけているに過ぎない。

折しも選挙中であったので、自民党以外のどの議員・候補もまだ興奮冷めやらぬうちに迂闊に発言する事は得策でなく、敢えて自身の選挙活動についての発言に転換するほか無かったのであろうが、何よりもその時はまだ動機も明確でなかった。

が、ことここに来てカルトとの繋がりがもはや否定できないところまで明るみになった今、民主主義への挑戦という文言は的外れであり、ミスリーディングですらあるだろう。

そして、民主主義と謳うなら前述の通り、すでに上がっている反対の意見を聞かずして断行するやり方は到底認められないのである。

 

国葬は外交の機会

ツイッターでは「国葬は外交のボーナスステージ」だとして、それに納得している者がある程度いるようだ。

非常に騙されやすいと言わざるを得ない。おそらくワクチンもさっさと打ったのだろう。3回目、いや4回目すら検討しているところなのかもしれない。

上記の表現も、とても故人を偲ぶようなものとは思えないが、彼らに言わせてみれば反対派はただ闇雲に嫌がっているだけで物事の裏側を見通せないから気付かない、だそうである。

ならば聞きたいのだが、国葬で訪れる各国の要人と一体何をどれくらい話し合い、国益とできるのだろうか。

平生行っている外交が不十分だからと言うのか、はたまたここでウクライナとロシアの戦争が劇的に変化するとでも言うのだろうか。

なぜ弔問に来た全員が、その場で日本にとって有益な結果をもたらすと言えるのか。

外交外交と言うが、その具体像が全く見えてこない。

そもそも断行しようとしているせいで、国内は分裂状態である。

内政についてもきちんと目を開いて見た方が良い。

 

以上、いわゆる賛成派の言について突っ込みを入れていったが、それでも彼らは早々に閣議決定される事を心待ちにしているのだろうなと想像に難くない。

岸田はじめ茂木など、自分と異なる意見を全く聞こうとしないところは彼らの言動と驚くほど親和性がある。

歴史が既に教えてくれているのだが、その正体は独裁であって、全体主義なのである。

カルトとは、自らの思想が正しいと頑なに信じ、それにそぐわないものを徹底的に排除・攻撃するものである。

既に日本国という国家は、カルトによって運営され、カルトによって支持されており、その他の比較的マシな者たちと圧倒的少数の普通の人たちを置き去りに爆走している状態なのかもしれない。